姫路・西はりま 地場産業紹介

マッチ

人類と火の歴史

50万年前に遡る人類と火の歴史

50万年前に遡る人類と火の歴史

人類が最初に手にした火は、落雷や火山の噴火による自然火災によってもたらされたものだと考えられています。

このようにして手に入れた火は、夜の闇を照らす「明るさ(光)」と「暖かさ(熱)」を与えてくれました。まだ自分たちで火を起こすことのできなかった人々は、夜行性の獣から身を守り身体を温めてくれる火を大切にし、これを絶やさぬように番をして守りつづけました。

やがて、風で擦れあう木の枝から発火するのを見ることで、人類は自然から発火の術を学び取ります。渇いた木を横に寝かせ、その木に垂直に別の木を当てて擦り続け、摩擦によって熱を蓄えて発火させる方法は、世界各地で行われたようです。

人類が火を手に入れた経緯については、様々な神話にもそのエピソードが語られており、今でも神社のお祭において木の摩擦によって発火させる儀式があります。(出雲大社や伊勢神宮)1929年に中国で発見された50万年前の北京原人の遺跡から火を使った痕跡が発見されていますので、人類と火の歴史は少なくとも50万年前に遡ると考えられます。

江戸時代になると、火打ち石といわれる金属と石の衝撃によって発火させる方法が主流になります。

現在のような形のマッチは、1827年にイギリスのウォーカーによって作られ、小箱の側薬にマッチを擦ってつける安全マッチは、1855年にスウェーデンで発明されました。

マッチの発展

マッチの発展は燐(りん)の活用から

「摩擦マッチ」
1827年に英国の薬剤師ジョン・ウォーカーによって、硫化アンチモン、塩素酸カリウム及びアラビアゴム糊を混ぜて頭薬にし、硫黄をかぶせた軸木を2枚の硝子粉紙の間に挟み、軽く摩擦して発火させる方法が考え出されました。これがマッチの始まりと言われています。初期のものは、簡単には発火しないうえ、発火しても軸木に着火しにくいものでした。
改良型摩擦マッチ「黄燐マッチ」
1831年にフランスのソーリアとカメレールによって、どこで擦っても容易に発火するマッチが開発されました。しかし、黄燐マッチは毒性が強く、殺人や自殺などに使用されたこともあり、さらに、移動中の摩擦や衝撃による火災事故も頻発したため、より安全なマッチの開発が期待されていました。
赤燐を用いた分離型「安全マッチ」
1850年前後から、赤燐を用いたマッチの開発がヨーロッパ各国で進められていましたが、1852年にスウェーデンにあったヨンコピング社のルンドストレームが、リンを含まない頭薬を点着した軸木を小箱に納め、その箱の側面に赤燐を側薬として塗布した分離型の「安全マッチ」を発明し、特許を得ました。そして彼は、1855年に純粋な赤燐を用いた「スウェーデン式 安全マッチ」を製造し、広く販売しました。これ以後、スウェーデンは世界のマッチ工業のトップとなっていきました。
どこで擦っても発火できる「硫化燐マッチ」
安全マッチが普及していく中で、どこで擦っても発火する黄燐マッチの便利性を要求する声も根強くありました。 1864年にフランスのルモアンが毒性の少ない「硫化リン」を発見し、1898年にフランス専売公社のカーエンとサベーヌが硫化リンを使った摩擦マッチを作り、特許を得ました。イギリスでは、1900年にフランスの許可を得て、「硫化燐マッチ」の生産が始まりました。 また、アメリカでは、黄燐マッチの毒性などについての認識が高まる中でも、その需要は一向に衰えず、国内生産は相変わらず継続されました。しかし1920年のワシントン国際労働会議の決議により、1922年6月限りで黄燐マッチの国内製造も全面禁止とされ、それに代わって「硫化燐マッチ」が作られるようになりました。これ以降、西部劇でカウボーイが靴の裏やベルトのバックルに擦って点火するシーンによくある「硫化燐マッチ」の生産が本格化しました。

国産マッチの歩み

清水誠と国産マッチの生産

日本でマッチが生産されて普及するのは、明治維新以降のことになります。また、日本のマッチについては、「清水誠(1845~1899)」の名を抜きにして語ることはできません。

金沢藩士「清水誠」は、明治2年に欧州に留学し、当時外遊中の宮内次官吉井友実の勧めによってマッチの製造法を研究し、帰国後の1876年(明治9年)に東京市本所柳原に「新燧社」を設立して、本格的にマッチの生産を開始しました。 マッチの製法を広く公開したことや、当時の失業士族救済のための授産事業として奨励されたことで、各地にマッチ工場が設立されました。

しかし、「士族授産事業としてのマッチ産業」は、明治10~20年代にかけて起こった経済恐慌に「武家の商法」では持ち堪えることができず、次々と破綻して民間に任せることになりました。

第一次世界大戦後の不況時代

明治8年にマッチの生産が開始されてから順調に生産量が増える一方、清水誠は輸入マッチの販売店(洋品業者)に呼びかけて「開興商社」なる組合を作り、国産マッチの普及に努めました。これにより、遂に13年夏にはマッチの輸入が皆無となりました。

以降、マッチの輸出も次第に増加して国の重要輸出製品の一つとなりましたが、明治14年〜16年には粗悪品を輸出する製造者が生じたことで日本品の名声が下落し、輸出量が極端に減少して閉鎖されるマッチ工場が続出しました。これを除くため、明治20年(1887年)に兵庫県燐寸製造組合が設立されました。

生産統制時代から現在へ

大正14年に重要輸出品工業組合法が公布され、マッチは同法の指定業種となりました。これに基づき、15年には日本燐寸同業組合聯合会が「日本燐寸工業組合」に改組されました。

昭和8年に工業組合法第8条に基づく命令よって本格的な生産の統制が実施され、11年には日本燐寸共販株式会社が設立されて販売上の統制を実施するに至りました。 昭和16年に第二次世界大戦に突入し、戦況の推移に伴って原木、紙、膠、塩素酸カリウム等の原材料の不足が目立ち、「企業整備令」による吸収合併、廃業などが進み、その上空襲等による工場焼失もあって生産力は著しく減少し、昭和20年の終戦を迎えました。

昭和21年「統制会社令」は廃止となり、日本燐寸統制株式会社は日本燐寸産業株式会社に改組し、引続きマッチの一手買取販売を実施しました。 この間、マッチの生産は増加の一途をたどり、昭和48年にはマッチの総出荷量が戦後最大の約80万マッチトンに達しました。

日本のマッチ産業

マッチ産業から複合産業へ

マッチ産業から複合産業へ

日本製のマッチは、種類の豊富さや優れた品質に加え、多品種少量生産が可能なシステムを確立したため、世界各国から広告マッチを多く受注してきました。現在、日本のマッチ生産量の2割は輸出向けで、主にヨーロッパや米国に輸出しています。

マッチの需要は減少傾向にありますが、業界では早くから経営の多角化を図り、かつてマッチ産業が育てた土地・技術・販路の3つの資源を有効に活用し、消費者のニーズに沿った商品の開拓に取り組むことで、複合産業へと展開しています。

例えば、マッチ製造で培った技術を生かした分野としては、紙器の製造や生活日用品雑貨への名入れなどの各種印刷事業、土地を活用した分野としては、テニスクラブやスポーツ施設、駐車場、また、販売網を活用した分野としては、ポケットティッシュ、紙おしぼり、うちわ等の各種販促品の製造・販売などを展開しています。

兵庫県のマッチ産業

国内の約80%を生産

明治維新の後、失業士族救済や国内産業振興のため、全国各地にマッチ工場がつくられました。兵庫県では、姫路の就光社、尼崎の慈恵社が設立されましたが、明治10年~20年に起こった経済恐慌には持ち堪えることが出来ませんでした。

そのため、社員がそれぞれ「独立」して神戸・大阪にマッチ工場をつくり、日本を代表する貿易港である神戸港からマッチが輸出されるようになりました。 神戸で造船・鉄鋼・ゴム製品などの工業が発達するとマッチ生産の中心が西へ移動し、現在は姫路地域で国内の約80%を生産しています。

当地域の地場産業として発展した理由

  • 神戸港に近く、原材料の輸入や製品の輸出に有利だった。
  • 雨が少なく温暖な瀬戸内海性気候が、乾燥工程の多いマッチの製造に適していた。
  • 新しいものに取り組もうとする「播州人」の気質があった。
  • 付近に工場が少なく、働きたい人が多かったため、人を集めやすかった。

企業数・従業員数・生産高

年次(平成) 企業数 従業員数 生産数量(マッチトン)  生産金額(百万円)
県内 全国 県内 全国
7年 27 729 54,878 60,979 6,097 6,678
8年 27 708 53,645 58,886 6,139 6,636
9年 27 723 50,475 55,185 6,647 7,147
10年 27 688 47,116 51,650 7,107 7,659
11年 27 599 43,259 47,794 6,556 7,087
12年 25 556 39,701 43,930 6,006 7,087
13年 24 497 37,138 40,810 5,609 6,030
14年 22 486 35,681 39,079 5,306 5,692
15年 20 411 30,055 33,285 4,434 4,794
16年 20 383 27,651 30,348 4,056 4,350
17年 20 352 26,507 28,626 3,838 4,063
18年 19 338 21,875 23,771 3,116 3,309
19年 19 328 19,979 21,720 2,807 2,981
20年 19 334 16,986 18,287 2,270 2,429
21年 19 326 14,304 15,740 1,937 2,079
22年 19 303 13,015 14,297 1,745 1,872
23年 18 299 11,873 13,285 1,585 1,725
24年 17 288 13,305 15,062 1,758 1,929
25年 17 298 13,159 14,909 1,715 1,885
26年 17 282 12,026 13,758 1,544 1,712
27年 17 262 11,650 13,336 1,519 1,682
28年 17 268 10,781 12,460 1,385 1,547
29年 16 253 9,894 11,595 1,266 1,430
30年 16 268 9,473 11,142 1,190 1,350

マッチトン とはマッチの計量単位です。 1マッチトンは並型マッチ(56×36×17m/m)で7,200個。
出典:一般社団法人日本燐寸工業会

企業の地域別分布状況(平成30年)

  姫路市 その他
企業数 12 4 16
従業員数 242 26 268
生産数量(マッチトン) 8,611 862 9,473
生産金額(百万円) 1,057 133 1,190

出典:一般社団法人日本燐寸工業会

製品の流通状況(平成30年)国内78%:輸出22%

国内:78% 数量(マッチトン) 金額(百万円) 比率(%)
東北・北海道 801 91 11%
関東 2,475 280 34%
中部・近畿 2,547 288 35%
中国・四国・九州 1,456 165 20%
小計 7,278 824 77%
輸出:22% 数量(マッチトン) 金額(百万円) 比率(%)
ドイツ 77 9 3%
米国 1,951 99 89%
オーストラリア 80 6 4%
その他 93 15 4%
小計 2,201 129 23%
合計 9,479 953 100%

出典:一般社団法人日本燐寸工業会

データでみるマッチ産業

マッチの生産量と輸出量

総生産量(マッチトン) 内・輸出量(マッチトン)
昭和41 603,585 13,857
昭和42 689,943 16,030
昭和43 647,297 17,575
昭和44 724,163 21,142
昭和45 757,629 22,625
昭和46 716,395 23,644
昭和47 732,061 23,862
昭和48 792,935 18,342
昭和49 688,400 14,344
昭和50 625,812 10,766
昭和51 568,421 14,246
昭和52 465,240 15,041
昭和53 425,514 12,233
昭和54 372,400 13,494
昭和55 317,094 13,300
昭和56 270,095 14,161
昭和57 256,525 17,272
昭和58 209,308 16,297
昭和59 197,072 18,901
昭和60 173,002 17,969
昭和61 154,253 17,525
昭和62 136,485 15,608
昭和63 129,712 16,258
昭和64 111,193 16,525
平成2 103,449 15,868
平成3 93,298 15,214
平成4 84,833 13,220
平成5 74,365 11,762
平成6 67,330 11,391
平成7 60,979 9,969
平成8 58,886 9,963
平成9 55,185 10,939
平成10 51,650 10,455
平成11 47,774 10,813
平成12 43,930 10,129
平成13 40,810 9,638
平成14 39,079 9,328
平成15 33,285 8,059
平成16 30,348 7,604
平成17 28,626 6,721
平成18 23,771 5,142
平成19 21,721 4,009
平成20 18,287 2,824
平成21 15,740 2,329
平成22 14,297 2,340
平成23 13,285 2,098
平成24 15,062 2,651
平成25 14,909 2,761
平成26 13,758 2,256
平成27 13,336 2,481
平成28 12,460 2,212
平成29 11,595 2,405
平成30 11,142 2,196

マッチトン とはマッチの計量単位です。
1マッチトンは並型マッチ(56×36×17m/m)で7,200個。
出所: 昭和41年~平成9年 日本燐寸工業組合
平成10年~24年 社団法人日本燐寸工業会
平成25年〜30年 一般社団法人日本燐寸工業会

並型マッチ10個包みの小売価格

明治9年(1876) 3銭
明治25年(1892) 2銭5厘
明治29年(1896) 2銭
明治40年(1907) 3銭
明治43年(1910) 5銭
大正3年(1914) 3銭
昭和3年(1928) 7〜8銭
昭和13年(1938) (公定価格)12銭
昭和17年(1942) 20銭
昭和18年(1943) 30銭
昭和19年(1944) 40〜50銭
昭和20年(1945) 1円50銭
昭和21年(1946) 3円
昭和22年(1947) 4円10銭~12円30銭
昭和23年(1948) 15~21円
昭和24年(1949) 24円(7月公定価格廃止)
昭和25年(1950) 20円
昭和26年(1951) 15円
昭和28年(1953) 20円
昭和32年(1957) 25円
昭和33年(1958) 30円
昭和37年(1962) 35円
昭和40年(1965) 40円
昭和42年(1967) 45円
昭和46年(1971) 55円
昭和48年(1973) 60円
昭和49年(1974) 110円
昭和50年(1975) 100円
昭和55年(1980) 120円
平成17年(2005) 167円(6個100円を換算)
平成30年(2018) 180円(6個108円を換算)

出典:社団法人日本燐寸工業会

マッチの原材料

マッチに使われる薬品

頭  薬 酸化剤 塩素酸カリウム
燃焼剤 硫黄・松脂・膠(にかわ)等
調節剤 ガラス粉・雲母・クレー粉(粘土)等
接着剤
側  薬 発火剤 赤りん・硫化アンチモン等
接着剤 合成樹脂
軸  木 インプル剤 第二りん酸アンモニウム等(軸木燃焼後の残火を防止)
燃焼剤 パラフィン

軸木について

軸木は、ポプラ属の1種である「アスペン」や「ポプラ」の木で、主としてチリ、中国やスウェーデンから輸入しています。

環境にやさしいマッチ

薬 品
マッチに使用する薬品は無害で環境汚染もありません。
軸 木
マッチに使用する木はポプラやアスペンです。燃えて土に還ります。
小 箱
箱に使用する紙は古紙(再生紙)を使用しています。

マッチの種類

マッチの種類

マッチライブラリー

家庭用マッチ
明治・大正時代の日本のマッチラベルは、印刷技術の高さと緻密な図案により、現在もアートとして高い注目を集めています。販売用の家庭用マッチの図柄には、吉祥につながる縁起物、動物、人物、神様などが数多く見られます。
家庭用マッチ
家庭用マッチ
家庭用マッチ
家庭用マッチ
家庭用マッチ
家庭用マッチ
家庭用マッチ
家庭用マッチ
家庭用マッチ
家庭用マッチ
広告マッチ
明治後期から昭和初期にかけての宣伝・景品用の広告マッチからは、モダンなカフェやレストランなど近代化されてきたライフスタイルが垣間見られて、今では懐かしい当時の暮らしや社会が伝わってきます
広告マッチ
広告マッチ
広告マッチ
広告マッチ
広告マッチ
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新たなマッチ
近年ではライター等で代替されることが多くなりましたが、用途別に特化するなど、伝統のマッチは今でも進化し続けています。

茶殻入りマッチ

メーカーとの共同開発で茶殻を有効活用しています。

防災対策用の缶マッチ

災害や停電時に役立つ、 生活防水加工を施した
水に強い半永久保存可能な缶詰マッチです。

レトロマッチ

明治から昭和にかけて流通していた
マッチラベルデザインの復刻版マッチです。

姫路おでんマッチ

『地場の食を地場産品でPR』
『姫路の新しいお土産つくり』をコンセプトに企画されました。

マッチの製造工程

マッチの製造工程

マッチの日と清水誠

5月12日は「マッチの日」

マッチの日

国産マッチの始祖である清水誠(金沢藩士)は、慶応元(1865)年の20歳の時、洋学修業のために藩の選抜で長崎・横浜へ派遣され、明治元(1868)年にフランスから招いたヴェルニから、器械学、造船学を学びました。

そして、明治2(1869)年にフランスに留学してヴェルニ塾に学び、明治6(1873)年にはパリ工芸大学(パリ・エコール・サントラル)で理工科系科目を習得し、ここで身につけたことが後々マッチの開発に役立つことになります。

このフランス留学のために清水誠が横浜港を出航した日である5月12日を「マッチの日」としています。また、9月16日も1948年にそれまで配給制だったマッチの自由販売が認められたことを記念してマッチの日とされています。 また、1975(昭和50年)5月12日、国産マッチ生誕100年記念事業の一環として東京都江東区亀戸天神社境内に、戦災で倒壊した清水誠の紀功
碑が「清水誠顕彰碑」として再建されました。

お問い合わせ窓口

マッチの歴史や産業、
その他各種のお問い合わせについて

連絡先団体名:一般社団法人 日本燐寸工業会
〒650-0012 兵庫県神戸市中央区北長狭通5-5-12
TEL:078-341-4841 FAX:078-341-4371
URL:http://www.match.or.jp

マッチ商品のお買い求め及び
お問い合わせ、体験メニューについて

連絡先団体名:マッチマウス「マッチ棒」
※運営:一般社団法人 日本燐寸工業会
〒650-0004 兵庫県神戸市中央区中山手通3-17-1
TEL:078-221-5561
URL:http://match.or.jp/matchbou/
三宮からシティーループバスで1駅目
JR元町駅から徒歩15分
JR・阪急・阪神三宮駅から徒歩18分
※オープン時間 10:00~18:00